2008年07月14日
アウト・オブ・マインド/加川良 1974
アウト・オブ・マインド
加川良
1974
必殺シリーズに、1978年に放映されました
翔べ! 必殺うらごろし
って1978年に放映された必殺中外道と呼ばれているものがあります。
現在CSホームドラマチャンネルでやってるんすが、そこに出演されているのが、あの市原悦子さん。
役名は”おばさん”。必殺ですから殺し屋役です。
あの日本昔話まんまで悪逆非道なヤツをいきなしぶすり。刺した後捨てゼリフを言います。
その迫力たるやもー。
そのおばさんが言ったとすりゃ、
「いつまでも教訓教訓って、たまんないんだよ。人は皆変わるのさ。」
アウト・オブ・マインド
加川良さん、1974年のスタジオ・アルバム第3作。
聴いてビックリ見てびっくり、たった3年なのに別人28号のように変わった。2作目の「親愛Q」とも違う。
変わったことは当たり前でそれには事情も何も無くとゆう表明がラストの裸唄”つれづれなるままに”で正直に唄われてます。
となるとダック、
となると、問題は聴くこっちの方で。後追い聴きのうちでさえ、不治の教訓病です。あのアルバムの納得具合は凄かった。
まさに今、言いたいことをずば。いちいちそうだそうだ、そうだよなそうだよそう唄って欲しいんだよ連呼。
涙して笑っちゃって泣いちゃって。
そして2枚目「Q」で、戸惑い第一弾。それからそれからさらに進んだ貧乏極まり。あまりにも哀れで悲しくて聴くのが辛く。
いまだにまるで解決してない。
そして3枚目のライブ・アルバムはいまだ我が家に来ず、先にこの4枚目が参りました。
明るいんです。
何かすぱっとふっきれたように。
それは旅を始めた音楽だからか。寅さんみたいに。
色々ございましょうが、わたくし旅に出させていただきます。
あとのことはどうぞよろしゅう。
まあ、逃げてる、逃避な訳で・・・それは卑怯か?誤魔化しか?裏切りか?
まともにぶつかればやたらと体中ぶつかる浮世。たった一人、叫んでも何が変わるのか?
言いたいことは言った。あとはそちらの問題だ。
とにもかくにもわたくしは、何をすりゃあまるでわかりませぬが、一旦旅に出ますと、
1曲目”ラブ・ソング”で唄われます。
それについて何か文句をゆうゆわれはこちらにあろうはずも無く。
旅に出れば、苦しいことはすべてちゃらになるのか?
出たら出たらで、浮世は同じ。旅ならではの災難や小さな幸せや、平和や悲しみもある。
そのさまがそのまま。
こちらとしては、ライバルと言われてたとゆう吉田の拓郎さんみたいに聴こえるとこも有って当惑少し。
唄が変わった。辻演歌師のようだった日本メロが、街を離れると同時に田舎ザ・バンドみたいに。
B面になりますと、さらに遠くへ旅されてます。
問題は2曲目の”2分間のバラッド”。
地方ならではの災難を具体的に最終的に地名込みで述懐。唄調は岡林さんみたいに。
途中、各所でテープ逆回し箇所が有ります。
うちに来たレコがどうかしてるのかと思ったら、それは別紙で入っている歌詞紙に書いて有った。
レコ倫規定に引っ掛かったとのこと。
本当のことは、いつだって誰かにとってたまらなくキツイことです。
2分どころか、この歌は6分もあるよ。
わっ!!
3曲目の”かかしのブルース”
何と、サウンドが、リトル・フィートだ。加川さんの盤で、こんなフィートが聴けるなんて夢にも思わず。
それもそのはずバックは、鈴木茂さん&ハックルバックだとゆう。
たまらなく素敵、たまらなく素敵、ファンキーで、ロックで。
しかし
かかし
誰にも出来ない歌を唄ってらっしゃった加川さん。
それはいったいどこに?
それは次のザ・バンドな”たかが私にも”で、唄われて、そしてラストで決定的に。
途中のアルバムなのかもしれません。旅のアルバムだから。
正直、まだこちらはひきづってます。それほど凄過ぎた1stだったから。
歌詞ブックレットのお写真のように。
ここから先の盤で、決定的に答えを示されて下さるのでしょうか?
「そんなうまいことばかり行く訳ないだろうよ。どうしてもしたいなら自分でしなよ。」
また、裏殺しのおばさんに言われそう。
(山)2008.7.14
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
アウト・オブ・マインド
ろっくす特製でかい画像ページ也。
加川良 「教訓 I」 Kagawa Ryo "Kyokun I" (Lesson One)
http://jp.youtube.com/watch?v=FSaMY7TRgFI
和田アキ子#愛して
http://jp.youtube.com/watch?v=MV2xPqan6lY
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ろっくす加川さんのページ
資料
English Version
.
この記事へのトラックバック
とすると
教訓は封印・・・・。
あの1stには、見たことの無い風景が見えたもので・・・・
忘れられません。
当人曰く「世間にはフォークの人とレッテルを張られたけど、僕自身はずっとロックをやってきたつもり」とのこと。確かに清志郎さんがオーティス・レディングになりたかったように本当は個々にやろうとしている音楽があったんだけど、若者が長髪でアコギで…というだけで十把一絡げにされていたのかも。
加川さんには、英国トラッドみたいな、
感じで
日本トラッドを
やってもらえたらなあ
と、勝手に思ってまして。
何かロック発言意外です。