
誰ぞこの子に愛の手を
岡林信康
1975/1
月曜はどうしてもねえ、
昨日一昨日の大好きなお馬さん競争の結果によって、
誰かは確実に喜んでいるはずなんだけど、確実に喜べない側に不幸にもなっちゃった羽目には、聴く音楽に影響が及ぼされます。
それが悪いことに月曜は自分の国の音楽を感謝する日だに。個人的な事情で影響させちゃうって悪いんすけどこればっかは仕方が有りません。
どんな状況でも冷静にどんな音楽についても聴けないし書くことなんか出来ない。
プロの評論家さんはそんな時、どうしてるんだろ。プロだからそんなこたぁねえのかな。
感情の上出来ていて感情のまま聴くものにもしそんなことが出来てるんなら、そりゃ嘘ごとだろ。
嘘をやるのは辛いだろな。幸いこちとらアマで甘なので我がまま放題に出来ます。嘘などめんどくさいことなんかしなくてすむ。
で、そんな時に何を聴いて何を書けるのか?
アッパーでド派手なものは、元気出るどころか逆にドツボにハマるような気がする。
逆に浅川マキさん聴いちゃったらもう大変です。文字通り地獄行き。あの方はとことん強い方だと思う。
一生を地獄を見つめて生きていってらっしゃる。
だから
こんな時は、みっともないのをもさらけ出しまくってる音楽を聴きます。
誰ぞこの子に愛の手を
岡林信康氏
1975年1月作

ああ、我が家に誰ぞ愛の手を!なんて。
ジャケでの何かこう情け無い、やるせない表情の我らがフォークの神様。
そのまんまの音がこの盤には入ってる。
やたら腕の立つ75年にしてはナウ過ぎるロックとファンクの音塊に乗って、ビートにどっか乗り切れない自分の生来の才そのままに。
かっこわるい。
誰かを標的に感情をぶつければ、確実に自分に帰って来て、しんどいし
それにどんどん見ていけばいったい誰を標的にしていいかわからなくなる。
わからないけど唄わずにはいられぬからこうしてレコードにしてるんで、歌詞は前とは比較にならないほどわかりません。
といいますか
わからいないことがよくわかる。
この世のやるせなさ、現実は残酷で矛盾と厄介ごとだらけ、おまけにてめえはチッポケで大海の上の笹舟みたいだもんな。
笹舟の上で吼えている蟻のごとし。
それに聴いてるこちとらも、言葉も無く漬かります。

時に無茶苦茶共感する歌詞に出会い、ほっとしたりしながら。
Dr.パプロフ犬連れて
での
「近眼の医者が云うことにゃ、あんたはどこも悪くない
裁判所から表彰状 受けていいほど健康だ。」
あはは。言われたよ、この前。でもね具合が悪いからここに来てるんですけど。
それに対するお答えは、
「症状はあるけど健康だ。」
さっぱし意味がわかりません。
結局はこの世の今が悪いんですって結論に辿り着くが、それこそどうしょもなく、どうすりゃいいんでしょー
になる。
その歌聴いてホッとするってのは、他にもそうゆう風に感じてた人がいるんだなあ、って程度で、
それで何とかなるわけではないんで、ジャケの岡林さんの顔の表情となります。
中でもやはり一番の極め付け歌は、アルバム・タイトル曲の
誰ぞこの子に愛の手を
もーれつア太郎の歌みたいなウルトラ大正演歌。
それに乗って唄われるは、幼少の頃にサーカスに売られ、鬼の師匠に耐えられず逃げ出して、
事の善し悪しあからぬままに
有閑マダムのツバメになって、それでも鬼の師匠の夢を見て、ちやほやしてくれぬ人と合えばその師匠に見えて憎らしくなり
、人とまともに付き合えず性格破綻、どうしましょ、どうにもなりません
の歌。
サダメと言えど気の毒な。気の毒なのか??絶対会えば嫌なヤツ。でも
これはもしかして、イケメンアイドルへの面当て歌かと思う。
それどころかひるがえって、てめえ自身への自虐の詩かとも。
この盤の中で、一番徹底的にわかりやすく、わからずを得ない歌詞になってます。
心にもこびり付かざるを得ない。悪いことに曲も名曲。
このとてつもなく日本風味ラーメン横丁の歌、
ザ・バンドみたいなやり方でこの国でやろうとしたらこれなんじゃないかと思う。
そして逆に、こんなやり方でザ・バンドがやってたとしたらさぞかししんどくキツいことだったろうなとも思い。
また、
ジャケットの岡林さんみたいな顔になってやるせなくなります。
素敵で無くちゃ困る盤だが、
しょっちゅう聴く羽目になったら、こりゃ困る。

(山)2008.10.20
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誰ぞこの子に愛の手を

ろっくす特製でかい画像ページ也。

夜明けの風に
http://jp.youtube.com/watch?v=LDNPZVLOlks
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ろっくす岡林氏のページ
資料
English Version
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