2010年11月06日

愛のオルゴール/フランク・ミルズ 1979/1/27 Music Box Dancer Frank Mills



愛のオルゴール
フランク・ミルズ
1979/1/27


人は悪のみに生くるにあらず。
悪と言っちゃあ身も蓋もござんせんが、
喧騒のディスコとパンクの時代に突如出現した爽やかさん、
70’sのひこにゃん、それが

愛のオルゴール
Music Box Dancer




でございます。
なんじゃそれ?とも思わるるもメロディ一発聴いたなら、
ああそれかい、前からなんて曲か気になって仕方なかったんばいと頷いていただけますは必定
でございます。
製作したのはフランク・ミルズさん。カナダのピアニストです。
トロント出身1943年6月27日生まれ。幼少の頃からピアノとトロンボーンを習得し、
16歳で作曲始め、大学卒業後サラリーマンになり申したといいますが夢棄てきれず
ザ・ベルズとゆうバンドに加入しました。
1970年。
そしたら大ヒットが出たよ。1971年に。



The Bells- Stay awhile

http://www.youtube.com/watch?v=UBeQTj_9UVs


むーん。いい歌だ。全米何と最高位7位。
その後、脱退しCBCテレビでピアニストとして働いて71年に
”Seven Of My Songs”とゆうソロアルバムを製作、
そこからヒットシングル出ました。

Love Me, Love Me, Love

http://www.youtube.com/watch?v=cz1WIfK9eSY

むもーん。いい曲だ。カナダで10月に地元ヒット、72年には全米最高位46位。
その後74年に件の”愛のオルゴール”入りのアルバム

詩人と私
The Poet And I




を作るも、これがまるで注目されず。
それから4年後の78年、
カナダ・ポリドール・レコードとの再契約の際に、
その”愛の〜”がB面になってる新曲シングルを宣伝で地元のイージーリスニングのラジオ局に送ろうとしたら、
これが間違ってオタワのポップ局に送られまして、そこのDJが気に入っちゃった。
ただしB面を。
でラジオでかけたらこれがオオウケ。見事、時を経て大ヒットとなり申す。
そしてその風はアメリカにも届き、まず火がついたのが何とナッシュヴィル。
ニュース番組のエンディングに使われたのが評判になりまして火だるま、
あれよあれよとゆうまに
1979年1月27日に全米84位で初登場、
以後73-64-54-45-40-30-23-19-18-6-5-4-4-3-15-34-69-99-99位。
最高位3位のウルトラヒットだ。
これです。



http://www.youtube.com/watch?v=OvJXyYmVaHM




もはーん。おさかな天国の耳についたら離れない。
それにしてもキル・ビルで使ってたっけ?タランティーノのおいちゃんのセンスたらグッドね。
日本では
日本では何と申しても当然ウケルです。需要が有りますスーパー大売出しやら歯医者さんの待合室で。
1979年5月27日に30位で初登場、
以後22-21-16-11-9-11-11-12-14-19-30-24-31位。
最高位9位。
そしてそうなるとそれに留まらず、歌謡界に進出。
まずは



潮騒のメロディー
さこ みちよ


http://www.youtube.com/watch?v=-q3Iyw5WZ48


「お色気大賞」で「廃盤の女王」らしい。
1979年の5月にいち早くリリースもそうゆうことで売れず。
美味しいところを持って行かれたのが、高田みづえさん。
10枚目のシングル、8月25日発売。
最初はA面は、作詞・作曲:谷山浩子さんの



子守唄を聞かせて

http://www.youtube.com/watch?v=SWQx119Kym8

で、それがそれよりもB面の”愛のオルゴール”転じて

潮騒のメロディー

http://www.youtube.com/watch?v=rrxR7N_5tRI


が評判が良く、ひっくり返って大ヒットだ。22万枚超売上。



作詞:斉藤仁子さん。
正直・・・とほほで、耳がムズ痒くなりの何も歌詞を付けなくてもと思うも余計なお世話だな。
さこさんのはよりNHKのみんなの歌爽やかお姉さんです。
そしてその後、名もなく全国に流布され笠松競馬場の

まもまく締切りとなります。ご投票はお早めに。

の後ろ音楽。
行ったことは無いんですが、競馬ギャンブラーで笠松の回で流れたのを聴いたよ。

感慨しました。

とゆうのもこの曲、
僭越ながら私どものバンド、昔はラバーズホリデイと申したのですが、その時に作りました

みんなの世界

http://www.youtube.com/watch?v=7jGD8cgvECY


で、サビのバックで弾きました聞こえませんピアノでまんまじゃないけど。
これってばジェフ・リン氏のドゥ・ヤで、
ニック・ロウ氏のPeace, Love, and Understandingを
トッド・ラングレン兄さんがカバーし、
その時聞いていたのがビートルズで、ラジオで流れていたのが
”愛のオルゴール”
ってコンセプトで作りました。
予定では大ヒットして、今でもその時の印税で暮らしてますだったんすが、
歌詞がチニチャプしてまして、明瞭ながら何を言いたいかさっぱしわからん
だったので、特に売れることもなく現在に至る。
当時すっかりパンクNWに夢中だった私が、
何でこの曲が好きだったのですかって?
そりゃ
逆らえないナイスだったからサ。
クオンティン・タランティーノのおっさんが気に入ったツボと多分同じです。



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(山)2010.11.6

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詩人と私~愛のオルゴール

Over 60 Minutes

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ろっくす特製でかいジャケットのページ也。

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posted by 山 at 09:35| Comment(8) | TrackBack(0) | 一発屋さん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
さこふみよ・・・かと思いました(爆)
Posted by きぃふ at 2010年11月07日 00:47
>さこふみよ

すごい思い出すのに時間がかかって
結局思い出せませんでした。
Posted by ヤマ at 2010年11月07日 09:29
サンスイベストリクエスト!
「お笑い漫画道場」の司会者、後に国会議員になる柏村さんがDJでした。
そこでこの曲「愛のオルゴール」が紹介されたのを覚えています。
「ラジオ体操みたいですねー!」と柏村さんが言ってました。

高田みずえ。
あの頃「他人の曲を歌う事が多い。」と言われてましたね。
「青春U」「そんなヒロシに騙されて」
Posted by ひとりぼっちのこいつ at 2012年04月28日 22:33
>「ラジオ体操みたいですねー!」

あはは、まさしく。
遠慮ない発言です。
Posted by ヤマ at 2012年04月29日 06:25
サンスイベストリクエスト

ヤマさんは聴いてらっしゃいましたか?
1980年秋。
「ジョン・レノンが久々に曲を出しました。」
「スターティング・オーバー」です。
本邦初公開。録音しました。そのカセット、今でも持っています。
しかし、それからしばらくしてあの悲劇・・・・。

忘れられません・・・・。

Posted by ひとりぼっちのこいつ at 2012年04月29日 23:02
いいえ、あの頃は学校か〇〇か秋葉原のラジオ会館の小店でカセット売りのバイトとやたら行動的でラジオはほとんど聴いてませんでした。
事件の時もバイト中で
ちょうどかけてたんだよなあ、あのアルバムを。BGMで。
びっくり仰天を記憶してます。
Posted by ヤマ at 2012年04月30日 08:35
学生時代に秋葉原でカセット売りのバイトをされていたんですか。
楽しそうな大学時代だったでしょうね。
あの事件の日。僕は高校生で部活が終わって自宅で事件を知りました。
当日の深夜、オールナイトニッポンで急遽ジョン・レノンの追悼番組を放送していました。
Posted by ひとりぼっちのこいつ at 2012年05月04日 20:19
これが店長が実に嫌なヤツでして楽しくは無かったんすが、これもスタジオ代やレコ代やライブ拝見代の為やと奮闘いたしました。

>オールナイトニッポンで急遽ジョン・レノンの追悼番組を放送していました。

そうなんですか。そのようなことになっていたこととも知らず。
Posted by ヤマ at 2012年05月05日 06:00
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