2006年04月29日
Boogie Nights / Heatwave 1977/1
Boogie Nights
Heatwave
1977/1
*本日の「完璧なシングルを讃える会」は
Boogie Nights
欧州のスーパー・ディスコ・バンド
ヒートウエイブの最初のスーパー・デスコな曲です。
えー、文化とホームドラマは誤解から成り立つとか申しまして、誤解と思い込み&おせっかいが無けりゃ事件も起こらず、事件が起こらなきゃドラマも生まれないよ。今みたいにネットとか衛星TVが無かったその昔、ポピュラー音楽(死語の世界だ)も世界各地でそりゃもう独自の賑わいを見せておりました。そんな中、英なり米なりで、何か一大ムーヴメントが発生いたしますとおっとり刀で世界中にそれが伝染し勝手に解釈されてその地でその地なりの歌謡曲となってバカウケ。GSしかりプログレしかりメタルしかり、そしてディスコっ。踊るのはとにかく楽しいのデスコ。その威力たるや無用な理屈要らずじゃ。欧州に最初にデスコが伝播したのは1543年種子島に・・じゃなくて・・えと、1974年フロリダ発ジョージ・マックレー氏のロック・ユア・ベイビーからではないかと推測しております。
いきなり登場して英国で正月早々に最高位1位獲得。世はグラム成熟期の時でありました。作はKC&ザ・サンシャイン・バンドのハリー・ウエイン・ケーシーちゃんとリチャード・フィンチちゃん。本家はどうもフロリダ日差しが眩しすぎてか今一あっちでは受けなかったものの、マックレーさんのぼよよーんとした声が良かったのか、こっちでブレークしちゃっただよ。さー、いきなし寒い国でぽっかぽかな踊り音楽がウケちゃったからもう大変。フロリダ・サウンド自体、アメリカ真ん中のソウル・ファンクから外れて発生、しかも作ったのは白人って訳で妙に相性が良かったのか。とにかく踊りたい踊りたいの気持ちEC各国で大盛り上がり、期待に答えて音楽作らねばとなり候。さー、どこでドンピシャのサウンドが生まれたか。それが意外や意外。何か最も硬そうな人民が生活してそうなドイツの地でありました。60’sビートの影の発生地点もドイツだったもんな。東と西の設置点。色んな人種つどい、硬い国民性ってことは反面暴れる時は相当暴れるてな噂を聞いた事有り。
とにかく早く早くってんでその音楽をとことん咀嚼してる暇も無かったよー、ええいとばかり最初にブレークしたのがシルバー・コンベンション。待ってましたとばかりバカ受け。ドイツだけどころか本家アメリカまでも。大成功となると続くものが続々登場するのだ。当初はどうしたってシルコンみたいにレコード会社のプロダクション先行、ゴミみたいも当然沢山。の中で一番金色に光ったゴミがゴミじゃ無くなったのがホット・ブラッドのソウル・ドラキュラ。怪し過ぎ。
76年秋英チャート最高位32位。わ、それがいいのかとソウル・フランケンシュタイン、ソウル・ネッシーとか続く。そうこうしてるうちに、そうゆうのがやりたいつう酔狂な連中が現れて集って、腰が座ったバンドが登場して来るのだ。時は77年に入る早々。それはボニーM。
そして本日の主人公、ヒートウエイブであります。
前置き長過ぎー。
結成は1975年とのこと。アメリカ人ブラックなセールスマン業を営むジョニー&キース・ワイルダー兄弟はドイツで兵役をしておったそうな。兵役期間終えた後も水があったのか当地に住み着き、好きな音楽を各地のクラブで営業しておりました。そこそこの人気を得たもののそこはやはりローカルだよなーって本気でやろうと決意し、一路活路を求めてイギリスに旅立つ。なぜ故郷に戻ろうとしなかったかは不明。航空運賃が無かったか。そこで出会ったのがロッド・テンパートンつう白い作曲家、鍵盤奏者さん。おいらの歌を歌っておくれとばかり意気投合、バンド結成を目論見ます。そこに集った連中がまた凄い。まずはスペイン人のベーシスト、マリオ・マンテス氏。そしてチェコスロバキア人のドラマー、アーネスト・バーガー氏。ギターのお二人はアメリカ人ジェシ・ウイッテンズ、エリック・ジョンズ氏。どうやって音楽作るのに話し合いしたのか。面白れー。見てみたい。とりあえず英語でやったんだろうけど。メンツも揃い曲もどんどん出来て少しづつ評判を得てさーレコードを出そうとコンタクト取ったのが米エピック傘下のGTOレーベル。プロデューサーも決まりました。そこの専属のバリー・ブルーさん。元ユーライア・ヒープ(確かベース)で、リンジー・ディ・ポール嬢の作曲コンビ、自らも「Dancing On A Saturday Night」をはじめとする、もう英国POPど真ん中の暖かいシングルをかなりヒットさせていた人です。レコーディングは難航した模様。ギタリストの一人ウイッテンズさんがクビになって、ロイ・カーター氏にチェンジとか人事異動も影響したんだろうけど、何しろ製作者バリー兄さん、デスコ&ファンキーわかってたのかどうか。そりゃもうプロ中のプロだけんども。しかもメンバーの音楽性ばんらんばんらでしょうから、いざ本気でレコとなるとそりゃもう大騒ぎだったろうな。
最初の2枚のシングルは不発となりました。「Ain't No Half Steppin'」と 「Super Soul Sister」ってやつ。ベタなタイトル(^0^)。共に1stアルバム「Too Hot to Handle」からカットです。
そして3枚目のシングルで来たーーー。
Boogie Nights
だ。何でこれを最初にカットしなかっただよー。って誰が聴いてもわかる傑曲。前2曲はアルバム内でキラって曲だもんよ。
キラキラキラリンのストリングスが鳴り響く中、意表を突いて4ビート、ジャズのです、で始まり、嫌が応にもムード盛り上がるぞ。何が出てくるかと思たら、いきなしシンセ・ベース鳴り渡るスペース・ファンクだ。スペイン人のベースさんはうにょうにょとシンセに絡み、チェコ人のドラマーさんは見事なるハイハットでファンキーしてるぞこれが。で、なんつっても歌。薄情つうかつっけんどんこの上なし。「ブーギ・ナイっ。火元、確かめたーんか♪」ってね。一見やる気あるんかつうこの非人間ぽさが欧州デスコの最大の特徴であり魅力でござる。ボニーMしかりシルコンしかり。誰が始めたかってそりゃアバだろな。寒いんで余計なことしてられねえよってのあるのかー。ほんとか。この硬派な風情、パンク登場期の時代にも合致したのかとニヤニヤ。肝心のサウンドの異様さもそりゃもう。当然アメリカ産とは大違い。そのSFぽさ格別です。これはどこの国の音楽かと眩暈発生する。後半訳のわからん南米風言語飛び交うし。もうヤケクソ気味だったのかな。当時、プロモーション・フィルムを見ました(ユーチューブに有れば良かったんだけど無かったくー)。グラム以上にキンキラキン衣装で、ボーカル陣両手パタパタ上下に振りながら歌う姿のみょうちくりんなことと言ったら・・・一発でファンになっちゃった。
変なものがわたしゃ大好きです。
♪
ブギー夜 あーあーあー
ブギー夜 あーあーあー
ブギー夜 俺たちゃ朝までここにおるのは疑いなし
ブギー夜 いらっしゃいまし おっぱじめますから
ブギで盛り上がって踊りやがれ
だってブギ夜はいつだって街で最高さ
(ド低音で)
踊り続けましょうや
踊りましょー
踊り続けましょうや
踊りましょー
パーテー夜
どうやったらいいかあんたは見せてくれること可能
ブギ夜
しなさいな しなさいな
パーテー夜
音楽のサウンドに身もココロもずぶずぶと
ブギ夜
音楽 音楽
↑健康診断ではありません
ブギ夜
盛り上がるグルーヴをゲットしなはい
ブギ夜
この場所をメラメラ炎上させようぜっ
ブギ夜
感じた時が最高
ブギ夜
タイトにかっこよくキメようぜい
♪
まいったかー。
(山)2006.4.29
入手先参考(日本盤ベスト、アマゾン)
試聴はこちらでも(US盤ベスト、同)
わー
The English translation page : here.
この記事へのトラックバック
70〜80年代R&Bが大好きです。
プロモーションビデオじゃないけど、Heatwaveのライブ・ビデオがYouTubeにありますよ。
http://www.youtube.com/watch?v=_l3erHcglEk
これを見つけた時にゃぁ、コンピュータの前で踊り出していました。
ジョニー&キース・ワイルダー兄弟とはボーカルの二人のこと?
ヒートウエイヴお好きですかーっつ。
ユー・チューブが恒例のサーバー落ちで見れません。
残念です。復帰したら是非。
兄弟はお歌の兄さん達と思います。はい。
お手手ぱたぱた、ミョーなノリで。
耳の後ろがこそばゆくなって、はまりました。