2006年05月03日
Dedication / The Bay City Rollers 1976/9
Dedication / The Bay City Rollers
1976/9
*今日はこどもの日。
平和なリッチー家では。
「お、何か居間から音楽が流れてくるぞ。行ってみよう。」
「ウド・ワナビー♪るんるん。きゃあデレクー。」
「あ、キャンデス、何踊ってるんだ。」
「わ、あなた。いたの?」
「いたのって俺のウチだし。何だこりゃ。」
「やだあなた知らないの。ベイ・シティ・ローラーズじゃない。衣裳部屋を整理してたらLP出てきたの。」
「お前、ファンだったのか?」
「あったりまえじゃない。デレクーっ。」
「キーっ。ちょっと、ジャケ見せてみろ。お、これは、青春メロディ。レスリー(ぽっ)。いや違う。れすりー(ぽ)。」
「やだ。知ってんじゃない。じゃ一緒に聴きましょ。」
相変わらずアツアツな夫婦はほっといて
ベイ・シティ・ローラーズ、3枚目のアルバム、1976年9月発表の
「青春に捧げるメロディ」であります。
極太オビにデレクが隠れてしまうつう無情な日本盤ジャケのこのアルバム、これがBCRだの絶頂期盤。
「完璧なシングル」の
「二人だけのデート」入りなのだ。
既に9曲ものUKベスト10ヒットを放ち(とはゆうても1位はめぐり合わせでバイバイベイビーとギブ・ア・リトル・ラブの2曲だけって不運な全く)、英国人気絶頂、旋風は遥か東洋ジパングにまで押し寄せて来てる昨今。次なる目標は「アメリカを制するものはアメリカを制す」のアメリカだ。敵は巨大だあなどれぬ。とベル・レコード・スタッフ総出で連日連夜の会議の末放った後半に行くほど超高速になって心鷲掴みにされちまうつう「サタデイ・ナイト」。この曲の恐ろしさはいづれまた讃えねば気が済まぬわ。で、見事全米ナンバー1獲得。
したらば、アルバムの時代、ヤンキーを屈服させねばならぬLPを製作せねばとまたもや連日連夜の会議。
よっしゃ
製作は、70’s米POPならこの方しかおらぬのジミー・イエナー氏。録音場所は、うーむ、もしやコケてしまうこともあるやもしれぬ、本国にも気を使って真ん中取ってカナダにしよ。あ、そうだ、兄やんは顔が兄やんだからクビ。クリクリ顔のイアン君に入ってもらってと。「そしたらベースがいません。」「そんなんつまみ枝豆にやらせりゃええがな。あの子器用だし。」
メンバーと言えば連日連夜「夜のヒットスタジオ」「輝け歌謡ベスト10」ら週20本のお仕事でふらふら、新しいメンバーがいつのまにか入っても気付いておりません。
「さー、てめえらカナダにいけ。カナダへの手紙。」
「わーい、レコーディングだ。休めるぞ。」
「えーと、今の時代アイドルでも曲を書けねば大馬鹿にされちゃうぞ。いつものように何曲かは作っておくように。」
「大丈夫です。それなら300曲はもう書いてます。」
「そんなにはいらん。アメリカ人の親方ジミーさんが待ってるからよくゆうことを聞く様に。」
「へーい。え?ジミーさんてあのラズベリーズの?わーい。」
トロントにあるカナダからの手紙スダジオに着いた一行。
平尾マサアキ先生のお面を被ったジミー親方がニヤニヤ笑って待ってます。
「てめーらよーく聞け。俺のゆうことは絶対だ。神の言葉と思え。」
「へーい。」
「まずはこの曲を録音する。やれ。」
とばかりにアルバム1曲目となります曲を。
反則だ。ラズベリーズ、エリック・カルメン(かものはし似)作、レッツ・プリテンドではないか。
これにはエリック君たちより私がやられた。たまらん選曲。この名曲やられたらもう完全屈服でございます。
さて、ここで問題です。このアルバム中、BCRメンバーのオリジナルは何でしょう?
「カッコー鳥!」
ぶー。これはラス・バラードさんの曲。ベタ泣きメロ得意なラスおじさんにこんなファンキー曲作ってもらったってのは謎です。締め切り間際ちょちょいのちょいで作ったやつか。まさかなー。
正解は
「すてきな君」「ロックンローラー」「愛をこめたレター」の3曲。わかりません。質が高くて。他の曲、蒼々たるプロの作曲家先生の曲に混ざっていささかも引けを取らぬ。共通する味わいは・・・・・エルトン・ジョンだ。この時期当のエルトンちゃんが失いかけていたあのナイーヴ・エルトン節がこの若者達によって蘇る。その原型聴いてそれを読んだジミー親方も見事。ドラムのフィルインはナイジェル・オルソン氏風に。ギターのオブリはデイヴィー・ジョンストン氏のごとく。ラストのアルバム・タイトル曲
はガイ・フレッチャー&ダグ・フレット先生の曲なれど、ポール・バックマスター氏彷彿ストリングス鳴り渡り、それは正しく青春のメロディ。
これまでもメンバー自作の曲は押しなべて素晴らしきものばかりでした。だがしかしアイドル人気の悲しさよ、無用に信用されずの悲しさよ。もしやここで全曲自作、そして、親方がガス・ダッジョン氏だったりしたら・・・この先歴史は変わっていたかもしれぬ。
それにしてもアルバムとして素晴らしいアルバムでございます。
誰なんだ「イエスタデイズ・ヒーロー」を探して歌わせたヤツは。
元イージービーツのコンビ、ハリー・バンダ&ジョージ・ヤング氏の手によるこの曲、先の1月、ジョン・ポール・ヤング氏によって全米最高位42位と微妙なヒットとなったと聞く。ローラーズが丁度絶頂期頂点に至ったこの時期、ハマリ過ぎで・・・泣きながら歌ってしまうじゃないか。しかも嬌声入りで。イヂワルだなー。確実にそうなってしまう自爆ソングでこっちだって泣きながら楽しいじゃないか。
アメリカで成功、さらなる成功を目指しても、ローラーズを育て、共に成功したのは俺たちだの英国ベル・スタッフの意地が見える曲が2曲。もちろんメンバーも異論あるはずも無し。まずは
「ドント・ウォーリー・ベイビー」。
ビーチ・ボーイズといやあイングランド西海岸にあるぜよの表明。より南国にスティール・ドラム入りでヴァン・ダイク・パークスおじさんにも聴いてーって。米国民よお前らアホやのメッセージ隠されてたりして。
そしてキラーなシングル・カット「完璧なシングル」は
I Only Want to Be with You
イギリスのアリサ・フランクリンことダスティ・スプリングフィールド嬢のソロ・デビューヒット。
1963年最高位4位。アメリカでも12位。最高のPOPは時代を超えるぜの証がBCRの存在。正にその証明にうってつけの曲です。
これで駄目でも悔いは残らじの覚悟ここに見たり。
くしくも同じく最高位12位となり。
アメリカ何するものぞ。世界の青春を目指すのがローラーズなのだ。
そして青春は一回、歳とともに終わっちゃう。
イエスタデイズ・ヒーローになっても、そこで時間は永遠に止まってます。
(山)2006.5.3
でかいジャケットのページ
入手先参考(日本盤、アマゾン)
UK盤(同)
試聴はこちらで(ベスト、同)
懐かしになってしもた、動画
ダスティさん元祖二人だけのデイト動画
The English translation page : here.
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戸棚からひとつかみ8
Excerpt: {/plane_wel/}戸棚からひとつかみ 今回は、Dusty Springfield's Golden Hits(1966) 英国の歌姫ダスティ・スプリングフィールド(1939-1999)! ソ..
Weblog: 五叉路のグラフィティ
Tracked: 2006-05-03 10:50
「ベイ・シチーにこんがらがって」いや〜懐かしい。あの頃金切り声を出していたファンのおなご達は、いまや腹筋を使うことなく◎段腹かな?
さすが極太オビのおかげで、ジャケットに写るデレクは色あせしてませんね!
'76頃のエルトンといえば”蒼い肖像”というより”暗い自画像”をあらわにし失速したんだよね。
”二人だけのデート”ダスティ・バージョン好きでした。TBしちゃいます。bye bye buddy!
いやー、これはうちのスキャナーがLP丸ごとスキャンできん小さいやつでして(^_^;)
2回取って合成してるもんで、明度が変わってしまうとゆう情け無い理由でして・・・。
>ダスティ・バージョン好きでした。
凄いですね。ご存知でしたか。
私はごく最近、英国チャートにはまってから聴きました。
いまだに英国チャートは謎ばっか。
ダスティさんの人気は想像出来んほど凄そうです。