
Best of UFO: Gold Collection
UFO
1999
「週刊UFOヤオイさんはどこ?」です。
毎度試聴リンクで貼らせて貰っていたのがこのCD
ベスト・オブ・UFO:金コレ
悪いので発見し次第、勇気を出して購入しました。
何で勇気を出さねばならんかって?
だってさ、このジャケ強烈です。なんつーか(^0^)。
よく見ると変なの。何故ベースが二人。真ん中でネックおっ立たせているのはバンドの花ピート・ウエイ氏。

いやー行っちゃってます。顔が。上は四角い顔フィル・モグたん。右は言わずと知れますマイケル・シェンカーさん・・・のはず。怪しい。顔を隠してるので偽者かもしれぬ。顔を上げたら上田馬之助師匠かもしれぬ。左は・・・・やっぱりピートさんだったりして。俺が目立つ!!
しかあし、わからんもんです。音聞いてびつくりしました。極上リマスタリングです。誰がやったかどこにも書いておらんがあんたはえらい。立体的且つクリア且つ迫力。これぞCDだ。ブラボー。聞き馴染んだあの曲も違って聞こえて楽しさ倍増だよ。
そしてさらにの引きは。マイケル君ファンの貴方と私とあなたは抜けちゃった後のアルバムに手を出すのはいさささ(先生)腰が引けちゃいます。そんな貴方と私と貴方にちょっとづつ曲を聴かせてくれる。
これがまた・・・・衝撃の真実が暴かれてまた。
その一
歌メロはずっとモグたんが作っていた!
変わりません。あのノン・メロディのメロディ。思えばプレ・マイケル時代もそうだったので、やはりマイケルさんはリフとコード進行と、もちソロしか口を出せなかったのみたい。
その2
マイケル君時代、マイケル君以後丸わかり
わはは。そうゆう訳でメロは変わらずとも、聞けば一発でどっちかわかっちゃいます。これが音楽の恐ろしいところで。
そりゃ神様がいるといないとじゃ大違いだわなあ。これだけ感触が違うといない時の方が好きですって方ももちろんおると思う次第。
えー、それはご本人達も薄々やばいと気付いてらっしゃるようで、何とか近づけようとしてる様、ほほがえましくって嫌いになれねえよ。
その3
なんせ質素なインナー。収録曲それぞれのアルバムを書いてみます。
doctor ドクター
Rock Bottom
↓

phenomenon
Only You Can Rock Me
Pack It Up (And Go)
Hot 'N' Ready
↓

Obsession
Let It Roll
Shoot Shoot
High Flyer
↓

Force It
Let It Rain
↓

Mechanix 1982
When It's Time to Rock
↓

Making Contact 1983
Love to Love
↓

lights out
Can You Roll Her
↓

no heavy猿
This Time
↓

Misdemeanor 1985
Long Gone
Lonely Heart
↓

The Wild, the Willing and the Innocent 1981
Young Blood
↓

No Place to Run 1980
微妙なバランスだー。何でさ?ってのは当然有り。ライツ・アウトが入ってないとか。きっと何か怨みでもあるんでしょう。こわ。
その4
インナーにはUFOの歴史が書いて有ります。「アダムスキー型が1954年に発見、1980年代シャドーが結成され月にはムーンベース、スレイカー司令官フォスター大佐・・」じゃ無くて、解釈してみまあす。私が読むからそりゃ不完全なのはお許しを。
・・・・・・
ヘヴィなロック/メタル・バンドUFOは1969年にその生を受けたのである。歌手フィル・モグ、ベース:ピート・ウエイ、ギター:ミック・ボルトンに待望のドラマー、アンディ・パーカーが力を貸して合体したその時。当初はホーカス・ポーカスとゆう名前のニュー・ロック・バンドとして。
次にUFOとゆう名で変身し1971年の間に小さなレコード・レーベル「ベーコン」から3枚のアルバムを発表した。
そのアルバムは「UFO1」「フライング」そして「UFO東京着陸−ライブ」。それらは西ドイツと日本で大ヒットになった。しかし英国チャートでは失敗、姿を現す事出来ず。
1974年、バンドはメンバーチェンジを決行。ギターのミック・ボルトンが抜けてラリー・ウォーレス(ピンク・フェアリーズのあの方や)が加入、すぐにバーニー・マースデン(後にホワイトスネイク)に代わり、そしてジャーマン・ロックのギタリスト、マイケル・シェンカーに。最初にUFOに出会ったのはスコーピオンズのメンバーで有った時でした。
1973ねんにUFOはクリサリス・レコードと契約す。それが英国でのどでかい成功の幕開けであった。そのレーベルでの1stアルバム「現象」は必殺もんでした。含むヘヴィ・メタル・クラシックの「ロック・ボトム」「ドクター・ドクター」。後にシングル・チャートの35位にまで達することに。1976年にはバンドは5人組に。ダニー・ペイロネル(ヘヴィ・メタル・キッズより)が鍵盤奏者として加入。(後にサヴォイ・ブラウンのポール・レイモンドに代わることとなるよ)。
1977年の6月、UFOは最初のベストセラーアルバムを得ることとなる。「ライツ・アウト」が54位になったのだ。それが大成功への道しるべでござった。彼らの1978年のアルバム「宇宙征服」は28位になりもうす。そして1979年2月にはライブ・アルバム「ストレンジャーズ・イン・ザ・ナイト」2枚組、1977年のUSツアーの間に録音されたもので、そいつは8位にまで上昇、TOP50に11週間もいたんだよ。
1978年、マイケル・シェンカーはUFOを脱退、スコーピオンズに復帰した。(そしてすぐさまマイケル・シェンカー・グループを結成)。そして元ローン・スターのポール・チャップマンが加入したの。チャップマンは自ら脱退して1980年にMSGに加入しました。そして代わりに入ったのが元ワイルド・フォーセズのニール・カーター。1982年にはピート・ウエイも去り、エディ&ホット・ロッズ、ダムドで成功したポール・グレイがベーシストとして加入せり。
UFOは7枚のUKでのヒット・シングル持ちます。ヘヴィ・メタル界への貢献たるや言うまでも無く。ここに収録されてる「オンリー・ユー・キャン・ロック・ミー」は1978年に50位に達し、シュート・シュートは79年に48位、ヤング・ブラッドは80年に36位、ロンリー・ハートは81年に41位、レット・イット・レインは82年に62位、そしてホエン・イッツ・タイム・トゥ・ロックは83年に70位。彼らはまた9枚のベスト・セラー・アルバムあり。ライツ・アウト、宇宙征服、ストレンジャーズ・イン・ザ・ナイト、ノー・プレイス・トゥ・ラン(11位、80年)、ザ・ワイルド・アンド・ウイリング・アンド・ザ・イノセント(19位、81年)、メカニックス(8位、82年)、メイキング・コンタクト(32位、83年)、ヘッドストーン−ザ・ベスト・オブ・UFO(39位、83年)そしてミスドミノワ(74位、85年)。
1983年にUFOの残ったメンバーは解散を決意する、そしてサヨナラツアーを決行。2年後、どうしたものかバンドはフロントマンのフィル・モグによって再結成さる。ポール・レイモンド、ポール・グレイ、元マグナムのドラマー:ジム・シンプソンそして日本のギタリストのアトミック・トミーM。ニューラインナップは栄光を今再びゲットすることは失敗した。UFOはまたまた解散、80年代の終わりに。1991年にバンドは再々結成。フィル・モグ、ピート・ウエイ、元グランドスラムのギタリスト:ロウレンス・アーチャー、そしてドラマーは元ワイルド・フォーセズのクライブ・エドワーズ。しかし今日のロック・ファンにインパクトを与えるには程遠く。
しかしながらUFOは大西洋のこちら側でヘヴィ・メタル・ミュージックの重鎮として責を果たしてきたことには間違いなく、そしてこの新しい金コレクション、16曲を含む、こいつはこのバンドの創造的絶頂の時のものであります。それは完璧な記録で有ります。UFOの多大なるヘヴィ・ロック・ミュージックへの担い手としてのビッグなるよ。
〜クリス・ホワイト
・・・・
おわ、クリス・ホワイトさんてば、自らも極上盤出してるミュージシャン、英国ビーチボーイズ・ファンクラブのあの方かえ?まさかなー。
えー、突っ込みどころ満載のライナーです、これは。突っ込んでください。日本人ギタリストが入っていたとは!。
でね、まず感じたのが・・・ロックはやっぱプロレスだー。ははは。
(山)2006.11.24
ろっくすUFOのページ
でかいジャケットのページ
入手先参考、試聴出来ます(アマゾン)
謎の円盤動画
UFO - Coming of Prince Kajuku (full version)
http://www.youtube.com/watch?v=HdoivzloPrY
Love To Love
http://www.youtube.com/watch?v=EnSdckA0fPI
The English translation page : here.