2007年03月03日

コパカバーナへの道 その1/バリー・マニロウ 1974-1977

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コパカバーナへの道 その1
バリー・マニロウ
1974-1977


70’sは個性の時代の幕開けでありました。
プロの素人芸ミュージシャンが登場したのだ。プロの素人芸ってゆうと何か語弊が・・・。えーと、それまで認められなかったような味のプロが登場ってことだぜ。それは洋の東西問わず。映画でもイージー・ライダー始め、ATGと。女優さんなんかカレン・ブラック嬢、シシ・スペイセック嬢、ダイアン・キートン嬢、メリル・ストリープさん、チャーリーズ・エンジェルもだな。ヒッチコック氏が採用しないような、これぞ女優さんって感じじゃ無いような。
音楽界ではシンガー・ソング・ライターの時代がきっかけであります。隣のお兄ちゃんお姉ちゃんが僕達の目線で歌を歌ってくれるわ。で、それは歌を作る人が自ら歌うってだから流暢に歌うとかルックスとか気にしない気にしないって前提があったんすが。リンダ・ロンシタッド嬢登場でそれもどーでもよくなったじょ。完全に隣のタヌキ顔のお姉ちゃん。職人の作った名曲をまんま歌うのだ。
そして男性歌手でも裏方さんが歌い出すって形で味勝負のお兄さん方が前に出て来たす。ソウル界が先駆けか。アイザック・ヘイズ氏、バリー・ホワイト氏。通常ならアイドルになれんようなキャラの方々がアイドルさんに。ビル・ウイザース氏もそうか。
それで最終兵器です。
バニー・バリロウちゃん

はい、突っ込みありがとございます。

バリー・マニロウさんです。

女子がタヌキ顔ならこちらは犬顔。犬顔家の一族。
1943年6月17日ブルックリン生まれ。本名バリー・アラン・ピンカス。貧民街で育ち、お父ちゃんは小さい頃家を出ちゃったよ。そんな事情でおばさんの家で育てられ、マニロウ姓を名乗ったらしいっす。ええとこの坊ちゃんじゃなかったのね。7歳の頃からピアノとアコーディオンを弾き始め、ジュリアード音楽大に進学、学費を稼ぐ為CBSレコードの郵便係で働いたと。才能は隠しててもわかるもの。耳のあるひとの目に止まり、ドクター・ペッパー、マクド、ケンタッキーなんかのCMの音楽を製作するようになりました。
71年にベット・ミドラー嬢と運命の出会いが。ピアノ弾き、アレンジャー、音楽監督で雇ってくれまして万歳。
その間もゲイ街でソロ・ライブなど敢行。
そしてついに73年にベル・レコードと契約することに成功いたします。
1stアルバムはまるで売れず、それでもラッキーなことにベルがアリスタ・レーベルに吸収された。
そこには敏腕製作マン社長クライブ・デイビス氏がおったのです。
「おい、マニ郎。どうだ。お前には妙な歌の魅力があるでー。どうだ、人の曲も歌ってみねえか。たとえばこんなん。」
と薦めたのが1971年に俳優ミュージシャン、スコット・イングリッシュ氏が作り歌い大ヒットさせました
ブランデイ
奇しくもそれは愛犬の歌であり、デイヴィスさん、たまたまバリーちゃんの顔を見て思い付きで言ったのか、
それが運命の分かれ道となり申す。
バリーさん、「ブランデイ」だとルッキング・グラスのメガ・ヒットと同じになっちゃうじゃんと「マンデイ」と改題。
そしたら大ヒットだよ。いきなし1位獲得です。苦労は実るものだ。(T_T) 泣き。
そして同時に獲得したはサイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」から獲得したのねきっとのマニロウ・サウンドです。
後半ドラムス大リバーブ&エコー&大オーケストラ鳴り渡る大盛り上がり大会ー。どんどんどんパフパフパフ。
以後、プロですから、そのアマっぽい風情しかし揺るがぬ(そこがプロ)歌声で同じ芸風を延々と。
その盛り上がりは妙にラスベガスの空気にはまりーの、素人大エンタテナーへの道を歩むのだ。
ですから、愛されると同時にジョークの対象にもなっちゃって、まー、動画宝倉庫ユー・チューブでもお笑いPVばかりや。
ここにそれを讃え、以下のシングル群に「心の完璧さん金メダル」を授与いたします。

完璧なシングルを讃える会、会長代行補佐代理 山

Mandy
1974年12月7日37位ランクイン最高位1位


僕は全ての人生を思い出します
氷のように冷たい雨が降っていた
ある男の影
窓を通して見える顔
夜に叫ぶ
夜は深まっていく

朝 また別の日
幸せな人々が僕の脇を過ぎ去っていく
彼らの目に見える
僕は記憶をたどる
どんなに君が僕を幸せにしてくれたか おー、マンディ
ああ、君はやって来てくれた そして何にも言わずに与えてくれた
でも僕は君を送らねばならない おーマンディ
そう、キスしてくれた 不安な時慰めてくれた
そして今日こそ君のことが必要なんだ おーマンディ

時の端っこに立っている
愛が僕のもだった時は行ってしまった
天上の丘で世界を捕まえて
心の中は泪で一杯
もう何も歌えないよ おーマンディ
ああ、君はやって来てくれた そして何にも言わずに与えてくれた
でも僕は君を送らねばならない おーマンディ
そう、キスしてくれた 不安な時慰めてくれた
そして今日こそ君のことが必要なんだ おーマンディ

昨日は夢
朝が来てしまった
風の中で叫ぶ
苦しいよ おー、マンディ
ああ、君はやって来てくれた そして何にも言わずに与えてくれた
でも僕は君を送らねばならない おーマンディ
そう、キスしてくれた 不安な時慰めてくれた
そして今日こそ君のことが必要なんだ おーマンディ

ああ、君はやって来てくれた そして何にも言わずに与えてくれた
でも僕は君を送らねばならない おーマンディ
そう、キスしてくれた 不安な時慰めてくれた
そして今日こそ君のことが必要なんだ おーマンディ


Mandy 1/16/07
http://www.youtube.com/watch?v=aHNGE6MP_7U

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It's a Miracle
1975年3月29日34位ランクイン最高位12位

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Could It Be Magic
1975年7月19日40位ランクイン最高位6位



I Write the Songs
1975年11月22日38位ランクイン最高位1位

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↑兄です


僕は生きてきました 永遠に そして僕は書いた ほんとに最初の歌を
言葉を置いて メロディを一緒に
僕は音楽だ 僕は歌を書く

僕は歌を書く 世界中が歌うように
僕は歌を書く 愛とそして特別なことを歌う
僕は歌を書く 若い娘が泣くような
僕は歌を書く 歌を書く

君の故郷は君の中に深くあるんです
そして僕の居場所は僕の魂の中にある
ナウ 僕が君の目を通して見るとき
僕は再び若く そしてえらく年寄りにもなる

僕は歌を書く 世界中が歌うように
僕は歌を書く 愛とそして特別なことを歌う
僕は歌を書く 若い娘が泣くような
僕は歌を書く 歌を書く

おー僕の音楽は君をダンスさせる
魂を与える チャンスをものに出来る為に
そして僕はロックロールだって書いて 君はノリノリさ
音楽が君のハートを満たす
そう、それがほんとのステキなことの始まりさ
それは僕から それは君のため
それは君から それは僕のため
それは全世界のシンフォニー

僕は歌を書く 世界中が歌うように
僕は歌を書く 愛とそして特別なことを歌う
僕は歌を書く 若い娘が泣くような
僕は歌を書く 歌を書く

作:ブルース・ジョンストン氏


The Beach Boys - The Hague (Netherlands) 1980 (3/3)
http://www.youtube.com/watch?v=dBo5bMAu_gc

The Manilows Singing Barry Manilow!
http://www.youtube.com/watch?v=gooUra7iUFs


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Trying to Get the Feeling Again
1976年4月10日37位ランクイン最高位10位

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This One's for You
1976年10月9日40位ランクイン最高位29位

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Weekend in New England
1976年12月25日35位ランクイン最高位10位

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Looks like We Made It
1977年5月28日33位ランクイン最高位1位


人はバリーちゃんを抑えても抑えきれない暴走狼と呼ぶ。それも毎曲だぜ。

(山)2007.03.3


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入手先参考(日本盤ベスト、アマゾン)

入手先参考(USベスト盤、試聴可能です、同)



The English translation page : here.


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