2014年06月29日
私は女 / ヘレン・レディ 1972/5 I AM WOMAN - Helen Reddy
私は女
ヘレン・レディ
1972/5
1941年10月25日豪州メルボルン産、
全体を把握しての持久力・集中力有り、努力家の蠍座天秤座寄り。
両親、兄弟共に俳優、芸能関係の良血。
4歳の頃から親と共に唄って踊ってショーの巡業で鍛えられる。
貴方にはスターへの道が約束されているのよ。
小さい頃はそれが信じられず自分は主婦か母親になるんだと思っていた。
家庭生活に憧れたヘレンさんの10代の反乱勃発、
一家の友人であるえらく年上のミュージシャンと結婚す。
が、離婚。
皮肉なことに一人娘トレーシーと共にシングルマザーとして自活するために芸能生活を再開、
歌に専念して。
それは17歳の時に腎臓摘出手術を受けてダンスを踊れなかった為。
Well
オーストラリアのテレビで歌い、豪州のTVショー”バンドスタンド”てタレントコンテストで優勝、
優勝の特典はニューヨーク旅行、そしてマーキュリー・レコードからシングルを出す権利。
ところが1966年にニュー・ヨークに渡ったらそれがその賞がレーベルへのオーディションを受ける権利に過ぎないことを知る。
マーキュリーはハナから番組とその約束しかしてなかったのだ。
わずか200ドルの現金とオーストラリアへの帰りの切符だけ持っていたヘレンさん、
それでもアメリカに娘と共に残って歌手へのキャリアを積むことを決意す。
ニューヨークで最初にステージに立った時のお客さんはたったの12人くらいだったそうな。
労働許可証を持っていなかった為、さらなる活動は困難を極め2年はあっとゆうま。
1968年の春、27歳になってようやく労働許可を得て
オーストラリア人の仲間の芸人たちに紹介された
何かしらコネを得るための業界パーティへ参加、5ドルの参加料を払って残りの所持金は12ドル。
そこで出会ったのがそのパーティーをぶち壊したウイリアム・モリス氏の22歳の秘書であります彼女の将来のマネージャーと夫になるジェフ・ウォールド氏。
娘と共に3日間デートしたあと結婚。
彼女後年曰く、アメリカに住み続けるため、働く権利を得るため、ヤケクソで結婚したとな。
結婚後すぎにジェフさん、モリス氏のとこをクビになり
ヘレンさん、一晩35ドルで夜間看護婦をして半年生活を支える。
食事といえばスパゲティだけ、
残りのお金でゴキブリスプレーを買ったそう。
そして夫ジェフ氏がタレント業の職を得たためシカゴに引っ越し、
シカゴで歌手活動がちいと評判になり
フォンタナ・レーベルと契約、
シングル「One Way Ticket」出したもののヒットまったくせず。
しかし母国豪州で最高位83位となり初の業界への出現とはなったけどね
1年も経たないうちにジェフさん、ヘレンさんと娘さんを連れてロスへ引っ越し、
キャピトル・レコードに雇われる。
だが出社一日目にクビに。
ヘレンさん、怒りぷんぷん丸。
18ヶ月の無職状態後、最後通告。
「自分でプロモーターの腕があるとでも思ってるのなら
私の仕事を何とかして見つけるか、
さもなければ出て行け!。」
ジェフ氏、腹を決めて妻のプロモート活動に専念することに。
5ヶ月間、キャピトルの役員アーティー・モーグル氏のとこに電話をし続け、
ついに我慢できなくなったモーグルさん、
ジェフが1ヶ月間電話してこないと約束するならヘレンさんのシングルを1枚出すと約束。
それが
I Believe in Music
マック・デイヴィス氏作。
まるでヒットせず。
が
カナダのDJがたまたまB面をかけちゃったらそれが評判になって
それが
私はイエスが分からない
I DON'T KNOW HOW TO LOVE HIM
ロック・オペラ映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」の曲のカバー。
1971年2月20日米99位初登場、
最高位13位の大成功です。
そして迎えた1972年、
デビュー・アルバム「I Don't Know How to Love Him」に収録されてた曲を
映画「Stand Up and Be Counted」の為に再録音し5月に出したのが
↑オランダ盤
私は女
I AM WOMAN
↑シンガポール盤
作は自身とオーストラリア時代からの友人レイ・バートンさん。
バックは
Leland Sklar: bass
Jim Gordon: drums
Mike Deasy: guitar
Jim Horn: woodwind; strings and horns arrangement
Michael Melvoin: piano
Dick "Slide" Hyde: trombone
Don Menza: saxophone
Kathy Deasy (whose credits included Johnny Rivers, Kenny Loggins and The Byrds): backup vocals
スタッフは
Arranged By Jim Horn
Engineer – Buck Herring
Producer – Jay Senter
ダンナのジェフさん、発売日に18時間ぶっ続けに各ラジオ局にかけるように宣伝活動の結果、
米チャート1972年6月24日99位初登場、
http://rocksblog.seesaa.net/article/400166975.html
以後
98-97-(7/8)94位。
一旦、呆気無く消えたあと
今度はテレビの仕事をとりまくり
息子のジョーダンくんが腹におりツワリがキツい状態にもかかわらず
19の番組で歌いまくった結果
女子の反響が爆発で
秋になって復活
--(9/16)87-65-58-46-(10/14)36-27-17-12-8-4-4-2-(12/9)1
-2-2-7-14-(1973/1/13)31-(1/20)46位。
最高位1位。22週。
初のオーストラリア産人によるオーストラリア産人が作った米チャート1位獲得曲となる
ヘレンさん齢31歳にして
ついに勝ち取ったり。
http://youtu.be/xwMOC5i2eRk
♪
I am woman, hear me roar
私は女、私のが叫びを聞いて
In numbers too big to ignore
無視するにはあまりに大き過ぎる数の
And I know too much to go back an' pretend
私にはわかってる
さかのぼって言いたいことがすごくたくさんあることを
'Cause I've heard it all before
だって何もかもそれは前から聞いていたこと
And I've been down there on the floor
私はずっと床に這いつくばらされた
No one's ever gonna keep me down again
誰にもまたそんなことはさせやしない
Oh yes, I am wise
おおお、そう、私は賢い
But it's wisdom born of pain
けどそれは痛みで生まれた知恵
Yes, I've paid the price
そう、私は代償を払った
But look how much I gained
けどどれくらい手にしたかを見て
If I have to, I can do anything
必要に迫られれば、私には何だって出来る
I am strong
私は強い
(Strong)
強い!
I am invincible
私は無敵
(Invincible)
無敵!
I am woman
私は女
うーーーーーーー
You can bend but never break me
貴方は圧力はかけられるけど
私を負かすことは出来ない
'Cause it only serves to make me
More determined to achieve my final goal
だってそんなことをしたって
それは私が最後のゴールを目指す決意をもっと固くさせるだけだから
And I come back even stronger
そして私はさらに強くなって逆襲する
Not a novice any longer
もう新馬なんかじゃないのよ
'Cause you've deepened the conviction in my soul
だって貴方は私の魂の中の根性を高めさせたのだから
Oh yes, I am wise
おおお、そう、私は賢い
But it's wisdom born of pain
けどそれは痛みで生まれた知恵
Yes, I've paid the price
そう、私は代償を払った
But look how much I gained
けどどれくらい手にしたかを見て
If I have to, I can do anything
必要に迫られれば、私には何だって出来る
I am strong
私は強い
(Strong)
強い!
I am invincible
私は無敵
(Invincible)
無敵!
I am woman
私は女
うーーーーーーー
I am woman watch me grow
私は女、私の成長を見て
See me standing toe to toe
馬体を合わせて私を見るのよ
As I spread my lovin' arms across the land
私が国中に私の愛する手を広げるのを
But I'm still an embryo
けどまだ私は本格化の前
With a long, long way to go
長い、長い道のりを歩む
Until I make my brother understand
私は私の兄弟に理解させるまで
Oh yes, I am wise
おおお、そう、私は賢い
But it's wisdom born of pain
けどそれは痛みで生まれた知恵
Yes, I've paid the price
そう、私は代償を払った
But look how much I gained
けどどれくらい手にしたかを見て
If I have to, I can do anything
必要に迫られれば、私には何だって出来る
I am strong
私は強い
(Strong)
強い!
I am invincible
私は無敵
(Invincible)
無敵!
I am woman
私は女
I am woman
私は女
I am invincible
私は無敵
I am strong
私は強い
I am woman
私は女
I am invincible
私は無敵
I am strong
私は強い
I am woman
私は牝馬よ
♪
これぞアメリカ歌謡界に燦然と輝く70年代を代表する
好きも嫌いも超越するパワーの
よりによって保守の権化、カントリーなアレンジで展開される
アメリカ歌謡曲にはあり得ない歌詞内容の
それは実はヘレンさんの実人生の正直な吐露の
平々凡々たる名前の、容貌の、
しかしレディとドンピシャな姓の
ハマるときにはとことんハマった
名曲であります。
を
結局、競馬歌に訳してしまいました。
土下座して謝るも
こうなったら
ジェンティルドンナとデニムアンドルビー、
宝塚記念で激走せよ
の運命だぜ。
(山)2014.6.29
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ろっくす特製でかいジャケットのページ也。
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資料(英版)
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僭越ながら
ウチのバンド、Lovers Holidayの曲です。
お聞きくだされば幸いです。
http://www.muzie.ne.jp/artist/a001909/
http://www.youtube.com/playlist?list=PL3A8FE17D2271FEAA
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