2008年01月28日

トロピカル・ダンディー/細野晴臣 1975

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トロピカル・ダンディー
細野晴臣
1975


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トロピカルダンディー(紙ジャケット仕様)

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ろっくす特製でかい画像ページ也。

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TIN PAN ALLEY 北京ダックライブ
http://jp.youtube.com/watch?v=WVPJegPlNio


glenn miller orchestra - chattanooga choo choo
http://jp.youtube.com/watch?v=00giGIsauiQ

Carmen Miranda - Chattanooga Choo-Choo
http://jp.youtube.com/watch?v=Wo1en0pBrH0

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日本の不機嫌大王、
細野晴臣さんの1975年2ndアルバム

トロピカル・ダンディ!


八木さんのジャケ濃い〜〜。
ジャケは体を表す。臭いぷんぷん、しかもとてつもなく臭い一発、ソイ・ソース音楽誕生の瞬間です。

YMO計画の始まりでもある。

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音楽家の求める理想てば、ただ音を出すことのみに有らず、とてもとても言葉で現すことの出来ぬ空気をステレオ装置から撒き散らし、
異世界へ聴いたものをいざなってしまおうってことだと思い。
しかしてそれは至難の技、自らその臭いたっぷしある街の中にどっぷし漬かって汗までその臭いになるか、
五感全てを動員して瞬間に嗅ぎ取り掴み取るか。
1975年の日本にはまだまだその妖しい場所が一杯有ったと思われ。さてそれをどうやって音にしよう。
洋楽が目の前に有って最後尾から追い込もうとしてたはっぴいえんど終了後、細野さんが始めたこと。
まずはそれは汽車に乗ってやってきたんだよ。

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港町ヨコハマに。
チャタヌガ・チュウ・チュウと。進駐軍のグレン・ミラーのSP。実家にも有りました。異国文化が直接流入。
好きでたまらなく、尊敬したはったと思われるヴァン・ダイク・パークスおじさん。その師匠が関わったハーパース・ビザールもそれを演り。
パークスおじさんも同じ匂い音楽したくて1972年に”ディスカバー・アメリカ”出した。
米国には米国の匂いありで、日本には日本のクッサー有る。師匠と肩を並べるには、それやり遂げなければ巨人の星は掴めないぞひゅうま。

どう聴いても、ヴォーカリストの声では有りません。細野さんは。
それはパークス氏もそうで、イーノちゃんもそう。
それでもたまらぬ、妙なる魅力。何でかって・・・そりゃその声でしか出来ない桃源郷音楽作ってるから。
ご本人によれば、それはA面で力尽きたとのこと。北京ダック喰った時点で。
B面は、力尽きて倒れながら作った音楽かなも。
それって大リーグボール3号じゃありませんか。

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無敵です。手(グー)

同時に消え行く消失の香りもする。
三時の子守唄”・・・生ギターと声だけ。そしてそれに続くインスト・ヴァージョンのそのたおやかなことと言ったら。
音楽には確実に魔法と奇蹟があるぜっと夕陽のインファント島の浜辺で叫びたくなる瞬間。

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日本POPの天辺に到達だ。

1975年。その年には奇しくも遥かなるニュー・オリンズ、アラン・トゥーサン父さんが”サザン・ナイツ”アルバム発表。
不思議だ。同時期に同じところを見ている謎のどうにも説明つかない眼に見えぬ香辛料がたっぷり。

そして
荒井さんの”ミスリム”アルバム。
こんな方がこんなことを演ってる一方、バックを勤めてたんだから、そりゃ奥は底無しだよな。

最後の波の音と、その浜辺でかけられたダイアル式の電話は相手が出ない。
一言放つ、何人かわからぬ女人の声。
もう一度立ち上がって巻き起こす大騒動予言しちゃった...。

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(山)2008.1.28

資料


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