2008年04月12日

ベイビー・カム・バック /プレイヤー 1977/11/19

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ベイビー・カム・バック
プレイヤー
1977/11/19


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ベイビー・カム・バック〜ベス

Baby Come Back: The Best of Player

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ろっくす特製でかいジャケットのページ也。

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Player - Baby Come Back
http://jp.youtube.com/watch?v=Hn-enjcgV1o


PLAYER - BABY COME BACK-1977
http://jp.youtube.com/watch?v=0fUadzVa0fc

PLAYER-MIDNIGHT SPECIAL 1978
http://jp.youtube.com/watch?v=No-5ubCqGds

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これでもちょいとミュージシャンやってまして、今ではギターも錆付く哀しいいつの間にかリタイア親父なんすが、
15年くらい前はちょいとした賞も貰いの、もしかしたらデビュー出来るかもと勘違いしましてデモ・テープとかレコード会社とかに送った訳です。
そーしますと殆どは無視されるんすが、中には返事をくれるとこも有り、”いいんだけどねえ、こうゆうのは売りにくくてねえ。”。
精一杯親切に言ってくれてるのはわかるけど、何か釈然とせず。いいんなら作っておくれよ、レコードを。
駄目すか?やっぱ商売にならなきゃ。慈善活動じゃ無いすもんねえ。
その”いいんだけどねえ。商売にならなきゃ”が当たり前になったのが70’s後半からで、
それはフリートウッド・マックやスティーヴ・ミラー・バンドやピーター・フランプトン氏などの諸先輩の苦労の末、
ロックが売れるようになって、
それはそれで素晴らしいことなんすが、それじゃあ新人はやりたいことより売れることを考えて音楽しなきゃならない。
だもんでそんなもんくそくらえってパンクが同時に登場したんです。
そのくそくらへに賛同。じゃあデビュウ出来ないよな。

そんな真っ只中の77年によりによってその売れるレコード専門のレーベル、RSO

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からデビューしたのが

プレイヤー

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リード・シンガーで歌手のピーター・ベケット氏はイギリスはリパプール出身だそうで、流れ流れてLAに。
音楽仲間鍵盤ジョン・クロウリー氏、ベースのロン・モス氏、ドラムスのジョン・フリーゼン氏と出会ってモスさんちのガレージで練習重ねの、
クラブ廻りで腕を磨きの、デモをRSOに送ったら即採用てば、それが同じ77年の出来事でえらくラッキーさんたちだわ。
そしてレコードを作る。
プロデューサーはヒット曲製造職人チーム、デニス・ランバート&ブライアン・ポッター両氏。
最初に出したシングルがこの

ベイビー、カムバック

何てたって当時ビー・ジーズで飛ぶ鳥を落とす勢いのRSOですから、プロモートも万全、8週かけて
11月19日にTOP40入り、38位で初登場。以後17-13-11-8-6-*-2-1-1-1-3-7-9-15-24位。
3週も1位になる超大ヒットになりました。えらくラッキーさんだわ。
もちそれだけの大ヒットになるには宣伝だけでなるもんで無く、曲も完璧、プロダクションも完璧です。
時代にピッタシの軽いファンク風味、イントロでたなびくちょっと懐かしのフィリー・ソウル、エレキ・シタールの調べ。
ぽこぽんコンガ。絶妙なコーラス。合いの手。文句なーし。
でもその全ての完璧とラッキーさんが何か物悲しい。破滅の臭いがする。熟しきった果実みたいに。
実際、ヒット曲三発屋さんなのに、この曲だけの一発屋さん扱いで、それもこれもこんな完璧なメリケン歌謡曲作ってしまったからだよ。
俺たちもしかしてこれが最初でお仕舞いみたいな風情がそこここに漂います。



夜通しかけて
僕は有り金全部を街にぶち込んでいます
それは君のことを忘れようとするため
でも朝が来た時、僕は始めた所にまた後戻り
君を忘れようとしたってそりゃ無理無理だよ

ベイビ、戻って来て
どんな阿呆でもわかること
君はすべてだったんだ
ベイビ、戻って来て
ぜんぶ僕が悪かったって責めてくれ
僕が間違っていた そして君無しではまるで生きていけない

一日中、偽りの仮面を付けている
涙を隠す為に無理やりニコニコしようとして
でも太陽が沈む頃
僕はまた空しくなる
どうやったら君がここにいてくれたか、神様にいまさらでも祈りたい

ベイビ、戻って来て
どんな阿呆でもわかること
君はすべてだったんだ
ベイビ、戻って来て
ぜんぶ僕が悪かったって責めてくれ
僕が間違っていた そして君無しではまるで生きていけない

今はもう全部それは丸ごと置いといて
また君と会うチャンスを下さい
君は心をぜんぶ使い果たしちゃったんすか
僕には未練は無いですか
まったく未練は無いって言うんですか?

ベイビ、戻って来て
どんな阿呆でもわかること
君はすべてだったんだ
ベイビ、戻って来て
ぜんぶ僕が悪かったって責めてくれ
僕が間違っていた そして君無しではまるで生きていけない

ベイビ、戻って来て、聴いてベイビ
どんな阿呆でもわかること
君はすべてだったんだ
ベイビ、戻って来て
ぜんぶ僕が悪かったって責めてくれ
僕が間違っていた そして君無しではまるで生きていけない
僕が間違っていた 生きていけない

ギタア



その音をば聴いて何か思い出しませんか?
はい、RCA時代のホール&オーツまんまです。音の香りもろとも。
この時ホール&オーツはまだみんなはあの時の音欲しがっていたのににも関わらず、ハイパー方面へ進出すべく、
変わっていってる最中。
ならばその隙間を埋めようと、デビューはしたけどクローンで。
それがとっても素敵だけど物悲しいよ。

プレイヤー。4枚のアルバムと3枚のヒットを残し、
歌手のベケットさんはリトル・リバー・バンドに加入しの、作曲家として活動。
ベースのロンさんは”The Bold And The Beautiful”ってABCテレビの昼メロで俳優なさり、
クローリーさんは作曲家に。

デビュー・アルバムの最後の曲は

Tryin' To Write A Hit Song

ってタイトルで。

噂では1995年に再結成したそうです。
アメリカでは1曲、TOP40ヒットを出せば一生喰っていけるとゆう話を聞いたことが。


(山)2008.4.12


資料(英版)

English Here

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この記事へのコメント
まさにリアルタイムな曲で、全米トップ40で初登場したその時に初聴きしたわけですが、「こりゃ売れるな」って直感で思いましたもの(笑)。まあある意味完璧なアレンジと(シングルVer.よりアルバムVer.のほうが好きなんですけどね)、泣きのメロ、サビとある意味職人技かもしれません。
Posted by へヴィ at 2008年04月12日 15:50
記事の中でRCA時代のホール&オーツって書きましたけど、ずっとRCAだもんなあ、あはは、
正確にはランチョネット→ロックンソウル時代で、
さらにはさっき気付きました。

この曲って「シーズ・ゴーン」にクリソツです。
タイトルといいアンサー・ソングだったのかもー。
で、
本家より売れちゃいましたー。
Posted by 山 at 2008年04月12日 22:44
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